最近、書くことが難しいと感じる。
仕事でも個人的な文章でも、なんだか書けない。のろい。
手元にある手帳には、毎晩寝る前にその日の起床時間や体調、したことなどをメモ代わりに書いているけれど、パソコンに向かって文章構成を練って打ち込むことができなくなってきた。
個人的な文章が書けなくなったこと。
これはいちばんの理由として、習慣の脱落があるとわかっている。
筋トレも語学も花づくりも読書も映画もそうだと思っているけれど、やって(触れて)いないとどんどん衰える。時間を捻出する比重が書くことに傾かなかったのだと思う。
書いていないとハードルがどんどん高くなるし。書くことがどえらい大変なことに思えてくる。
8月26日、阿久津隆さんの『本の読める場所を求めて』(朝日出版社)を読み終えた。
読書しているときのあのハイになって、目と手が動いていることだけをぼんやり認識している体の感じも、それを妨げる環境や要素も、めちゃくちゃわかる〜!という感じ。フヅクエに行きたいな。行くとしたら、どの本を持って行こう。(劇)ヤリナゲの『預言者Q太郎の一生』の戯曲も、しずかな環境でゆっくり読みたいんだよな。あの舞台を頭の中にもう一度起こしたい。今ちゃんと読みたいリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』もいい。フヅクエに行く前に荻窪のTitleに寄って、そこで目が合った本を買って行くのもいいな。夜になったらお酒を頼んでみるのもいいかもしれない、と想像したところで、とするとフヅクエに行くのはもう少し先になるかと思う。
阿久津さんのロジカルだけどとても素直な文章がよくて、文章を書くモチベーションが上がった。から、久々に書いてみようと思い至った。
仕事の文章が書けなくなったこと。
今、自分は、新しいものやポップカルチャーにあまり目が向かないときのようだ。「◯◯の次は△△がくる!」みたいなのいいよって。仕事上スピード感は大切なのだけど、個人としてはいま求めていない。気後れしてしまう。
そういうことが少しもやもやするものとして感じられるようになったときに、ある1作の漫画が無料公開されて絶賛の声と問題視する声がぶわっと巻き起こった。あさ起きてTwitterを開いたら全員その話をしていて居心地の悪さというか、やっぱり気後れを感じた。クラスの人ほとんどが昨日見たテレビの話をしている感じに似ている(Twitterでフォローしている人が「レイバンみたい」と投稿していてとてもしっくりきた)。
当分はついていけないなと感じた。一般教養のように作品に触れて感想を発信することが求められているように思えてしまう。SNSを見なきゃいいのかもしれないけども。スピード感と、話題作をおさえる貪欲さは今の自分と反りが合わない。
好きなときに好きなものに好きなだけ触れていたいと思い、8月は書く仕事のペースを落として過ごした。いまだ書く気力が湧いてこない。どうする9月。
板垣巴留さんの『BEASTARS』を原作にしたアニメを2期、観終えた。台詞ひとつひとつがとてもよくて、毎話ジンとしたり笑ったり、なんだかたっぷり楽しんだという感じ。主人公レゴシの気難しさ(面倒くささ)は信頼している友人にそっくりで、その彼に会いたくなる。たまにひとこと日記のような連絡をぽんと寄越して、こちらが返信すると音沙汰がなくなる友人。ほどほどに元気であってほしい。
アニメ2期の最終話が近づくにつれてどんどん寂しくなって、LINEマンガで原作を読み始めた。絵がかわいい。キャンペーンで3巻まで無料で読んだら全部ほしくなって、でもまとめ買いするならフィジカルでほしいよな、というところ。9月後半までの我慢か。
「しっかりと立ちたい」という言葉がずっと頭に響いている。足につけるようになった指輪を眺めてとなえる。
久しぶりに書いてみたら、自分でも思わぬ脇道がたくさんできて面白い。気軽に話が逸れられるのは、やっぱり手書きよりもパソコンでかたかた打ち込む方なのかもしれない。