(2019年7月5日 投稿分)
2週間とちょっとの滞在(といっても完ぺきな休みでなく出張やら会議やら仕事はあったらしい)を終えて父がメキシコに戻る。
気圧に弱いなんてもんじゃなく、モロに食らってしまうから飛行機が大の苦手な父は毎回の行き来がもう高いハードルになっている。戻りたくないとは言うが、それでも向こうの家の隣に住むちびっ子にビスコのおみやげを欠かさないところとかを見ていると、父がメキシコでも根をはって生活しているんだなあということに改めて気づく。向こうの生活がますます気になる。
空港で父を見送ってから2時間半 電車に乗り、KAAT神奈川芸術劇場へ地点『三人姉妹』を観に行く。俳優たちへの身体的負荷のかかり方がいつも以上だと感じた。名前を呼ぶ/呼ばれる、相手の顔を見る…1人ひとりが確固たるその人になっていく。
いくんだけど、戯曲のなかの言葉にもあるように”あなたがたのような人が、あなたがたのあとに、今度は6人出てくるかもしれませんし(中略)大多数となるかもしれません” 彼女ら彼らが埋もれる、大多数に溶け出すように見える。始まる前から舞台奥にある鏡に観客がうつっているのが見えてることや演出のああいうことで、自分も溶けた一部分のような感覚だった。そこで舞台に立つ人物たちに共感というか、親近感をもつ。共感する必要はないんだろうけど。三浦基さんの新刊の内容もきっと頭の中でちらついていたからそう感じたのかもしれない。
ほかの『三人姉妹』を観ていないけれど、地点の上演するこの作品は群像劇に思えた。モスクワへ!行けば何か活路を見出せる気がするけど無理だよなあと、のっぺりともがく人たち。5月の終わりに『シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!』を観たときも、去年の暮れに『グッド・バイ』を観たときもそうだったけど地点を観ているとアドレナリンが出る。口の中をカラカラにしながら観ていた。両作品とももう一度観たい。
空港に行くたびにやろうと決意することを思い出したからメモ。曜日シフト制語学。