(2017年10月3日 投稿分)
初めて乗った格安航空機の着陸は、驚くほど乱暴だった。息がヒュッと詰まるような揺れが10秒くらい続いて、少しだけ体が前へつんのめったところで機体は停止した。やや烟っているようにも見えるけれど、出発地であった成田よりもカラッと晴れた空が見える。愛媛に着いた。初めて四国に降り立ったのだ。
5日分の荷物が詰まった縦長なリュックを背負って自動ドアをくぐると、サングラスをかけ、パーカーのフードを頭に引っ掛けた怪しげな男性が私の目の前に立ち塞がった。海野さんだ、と思うや否や、自分の頬が緩んでいくのが分かる。海野さんと、ハイタッチと握手を交わして松山空港を出た。「四国はなんか明るいんだよ」という海野さんの言葉に大きく頷く。空が高くにあるように思える。光の量が多いように思える。紗記さんと自己紹介をし合い、カラッとした空気をいっぱいに吸い込んで車に乗り込んだ。
まずは三津浜。去年の年末、バー「LSD」で行われた『わくわく三津浜(完)』でスライドに写し出されていた風景。潮の香りが濃い。三津浜焼きが食べられるようになるのを待つ間、お店から道路を渡ったところの防波堤に腰掛けて海を眺める。少し向こうの方で魚が跳ねた。遠くに船がずらりと並んでいる。ぐちゃぐちゃに絡まった枝葉の塊が、防波堤を越えて投げ出した私の足の下を流れて行く。そんなのをぼんやりと眺めているだけで、もう、相当に気持ちが良かった。育った地に海はなかったけれど、感じる時間の流れが近い気がした。ここが好きだと思った。
三津浜焼きを平らげた後は、紗記さんに三津浜の通りをたっぷりと案内してもらった。去年までにここで何があった、それが今はこうなっている、という話を聞いて回っていると、その地に堆積してきたレイヤーを感じられた。ぼんやりと、という言葉よりは明確に感じられたように思うけれど、その時その時でその場にいない分には、やっぱりぼんやりと、なのだろう。紗記さんが通りを歩きながら、すれ違う人や家の中の人に声をかけると、皆にこやかに手を振って返事をする。生活が表に開けている場所だと感じた。
三津浜にある海野さんの「アジト」で会った造船所のおじさん達もまた、開けた人たちだった。にこやかに迎え入れてくれ、今日初めて会った人間でないように、変に気を回さずその場にいさせてくれた。「アジト」の中からも海が綺麗に見えた。真下にある岩に波がぶつかって砕ける音も聞こえていた。
道後でも、海野さんと紗記さんはすれ違うたくさんの人と挨拶を交わしていた。熱海の温泉街よりも人との距離が近いように感じられたのは、2人と一緒に歩いていたからなのだろうか。
三津浜の町中や道後の温泉街を散歩して、何となく、ここ(松山)は産業も工業も、そして人も表に出ているところなのだと思った。人の働く様子、生活する様子の多くが人の見えるところに出ている。そうしたところが、なんだかとても新鮮に感じられた。「四国はなんか明るいんだよ」という海野さんの言葉は物理的なことだけを言っていたのではない気がする。人も町も開けているから何かスコンと抜けているように感じる。気持ちの良いところだと思った。 その一方で、開けた産業に就く人のことを考えた。この気持ちの良い場所を自ら選んで生活している人も勿論たくさんいるだろう。しかし、産業から離れられずにこの地で生活する人もいるのかもしれない、と思った。今回の旅行の前に観た『サーミの血』という映画のことが頭をよぎったために、そう考えたのかもしれない。スウェーデンのラップランドに住むサーミ族は、サーミ族であるがために自由を制限されていた。血の鎖が存在した。地の鎖、家族の鎖、というものもあり得るものだと思った。
山の下とは気温が全く違う久万の星空は、今思い出してもため息が出る。本当に美しかった。降るような星空、とはあの空のことをいうのかもしれない。子どもの頃に那須高原で見た星空は、同じくらい無数に星が輝いていたのかもしれないけれど、刺すような寒さと、車通りの少ない道路に寝そべって見ていたことしかはっきりと思い出せない。その頃の自分を引っぱたきたいくらい危険な行為だ。久万には天文台もあるらしい。いつかまた来たときには天文台にも行ってみよう。もうないであろういつか、ではなく本当にいつか戻って来よう。
松山で過ごす最後の夜、道後にあるバー「ワニとサイ」で、海野さんから「今回で2.5%くらいかな」と評された。松山の到達度のことだ。2.5%でこんなに面白いのかと驚く反面、それっぽっちしか味わえなかったことが悔しかった。自分で何かしらを得ようとする旅はとても難しい。午前1時前に、「ワニとサイ」のれなさんと、その2階に泊まっているというBenと握手をして、松山の旅は終わった。
高松には翌日の夕方に着いた。雨の予報だったが、ぎらついた西日の差す中をホテルへと歩いた。荷物を軽くして、Benが教えてくれた、廃倉庫をリノベーションしてテナントを入れた複合商業施設「北浜アリー」へと向かった。駅を通り抜けて港に沿って行ったため、未だ新鮮に思える潮の香りをたっぷりと吸い込みながら、やや湿った海風を一身に浴びながら歩いた。夕日が綺麗に海面に映えている。写真を撮り撮り歩いていると、すぐに目的地にたどり着いた。この「北浜アリー」でも、私は「またいつでもおいで」と言ってくれる人たち、明日高松を発たなければいけないなんて!という気持ちにさせてくれる人たちに多く会うことができた。私の見せた従姉妹の子どもの写真に目を細めながら、彼に似合う服を一緒に選んでくれたピーカブーヤのとしろうさん、周りがぱっと華やぐような笑顔で様々な話をしてくれたBOOK MARUTEのなみさん、私のトートバッグに見た目だけでなくパワーを込めてくれた守矢さん、守矢さんの話に目を輝かせて頷いていた、うどんを愛するキッシュ屋のお姉さん。彼ら彼女らから後ろ髪を引かれるような思いをしながら翌朝、神戸へと向かうバスに乗った。
数時間しか眠っていないためバスでの移動は睡眠に充てるつもりでいたが、海沿いを走るバスの車窓に強く心惹かれた。瀬戸内の穏やかな海の上にぽつぽつと小島が浮かび、その間を船が軽やかに滑っている。バスは鳴門海峡の側に差しかかった。渦巻く様子がくっきりと見える。前の日の夕方、港沿いを歩いていたときに嗅いだ潮の香りを、耳にした静かな波の音を思い出した。バスのガラス窓1枚を隔てた向こうにはその匂いが、音が風に運ばれているのだろう。トンネルが多くなってきた頃、私は眠りに落ちた。
神戸に着くとすぐに山のようなお土産を買い、そのお土産たちと背負っていたリュックを東京へと送り飛ばした。これで大分楽に動き回ることができる。神戸三宮の駅前はとにかく飲食店が多い。店前の看板だけでお腹が膨れそうだ。アーケードに寄り道しながらたどり着いた中華街は、横浜のものよりもずっとこじんまりしていて歩きやすかった。揚げ油の匂いに香辛料や肉の匂いが混じって、中華まんや小籠包、ちまきを売る人たちの声が飛び交う。はっきりと空腹を感じた。どこに入ろう、とうろうろしていると、手書きの素朴な看板が目に入った。「カレースパイス、岩塩、どんぐりクッキー…」空腹ではあったが好奇心が勝った。入るとすぐに、セキセイインコの鳴き声に迎えられた。面食らっていると、店の奥さんが声をかけてきた。会話を交わしながら、気になるものを少しずつ試食させてもらう。カレーパウダーのみで美味しいと思ったことなんて、これが初めてだった。驚き興奮していると奥さんは次々と勧めてくる。どれも美味しいが、それなりの値段はする。タジタジになりながらカレーパウダーとブラックペッパーとを100gずつ買って、店をあとにした。スパイスを何種類も摂取した私の体が求めるのは中華まんでも小籠包でもフカヒレスープでもなかった。カレー屋を探して猛然と歩き出した私の目の前に、スパイスの神はすぐに降りてきてくださった。「水を1滴も使わずに32種類のスパイスだけで作りました」と書かれた看板。半ば駆けるようにして階段を上った。チキンカレーとサラダ、チャイのセットを注文すると、程なくカレーとサラダが出てきた。サラダで少しだけ空腹を落ち着かせてから、スプーンをルウの中へと差し込む。すくって、口に運ぶとガツンとスパイスの香りと味が広がる。ややもすると暴力的なまでのスパイスの濃厚さだが、野菜の煮詰めた甘みと鶏肉のマイルドな脂が直後に続く。中毒者かと思われてしまうのではないかというほど、あっという間にお皿を空けてしまった。しかも食べながらにやにやと笑っていた気がする。どう見ても怪しいやつだ。食後に出てきたチャイも、スパイスと砂糖が牛乳でとろみがつくほど煮詰められた絶品だった。
メリケンパークへ歩き着くと、松山や高松とは異なる趣の港が広がっていた。都会的なビルのすぐ側に大きな港がある。到着して数時間ではあったが、神戸の人の親しみやすさやおおらかな感じは、ただ関西の人であるからというのみならず、この大きな港からくるものでもあるのかもしれないと感じた。昔から港町としてあったため、旅する人に優しい。しかし商人としての顔ももっているため、ちゃっかりもしている。ただ、この街の人のこともきっと、ほんの少ししか掴めていないのだろう。
目まぐるしく人と話し、移動し、あれよあれよと東京の自宅に戻ってきてしまった。旅の最中に感じたことの備忘録として、少し書きおいてみた。