(2019年6月15日 投稿分)
普段パソコンから書いているnoteをスマホから打ち込んでいたらスマホがフリーズ。再起動したら消えていた。いかに自分が自動保存に頼っていたかを思い知る。(追: 予測変換もリセットされている。いかに頼ろうとしていたかを思い知る)
長久允監督の『ウィーアーリトルゾンビーズ』を観る。公開初日に映画を観に行くなんていつぶりだ。同監督の短篇映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が好きで好きで、楽しみにしすぎではないかと少し不安になるくらい楽しみにしていた。
両親が亡くなっても他のつらいことがあっても涙が出ない中学生4人のはなし。
長久さんの作品は、CMやMVもふくめて、言葉と感情がまっすぐに結びつかない印象を受ける。色彩や音で言葉にし難いものを描いている。とわたしは思う。そこがすごく好きだ。
人物の表情に近づいたかと思いきやすぐにカットが変わる。近づくときも、静止したまま寄らずに人が歩いて近寄るように不安定なカメラの動き方をする。毒毒しいくらい鮮やかな色と音、音楽。その中に子どもたち4人はいて、それが愛おしかった。悲しいのに泣けないから、意地を張っているから愛おしいのではない。まったくそうという訳ではない。でも彼らが自分の持ちものから親とのつながりを見出したり、生きてみようとしているところを勝手に見つけてとても愛おしくなった。
それは4人だけじゃない。4人を発見して喜び、どうにかしたいしてほしいと願い行動する池松壮亮も愛おしかった。そろそろ語が飽和する。
ただ、今日(6月14日)は、すごく好きな長久さんの作品を映画館で観ているという興奮があまりにあって、落ち着いて観ていなかった。涙腺もどうかしてしまっていた。来週、もういちど観に行こうと思う。
スマホから書くとスピードが落ちる分、なにかを思ってから文字にするまでに漉してしまう感覚がある。いつも思いついたまま書いていたところがなくなる。